落語会きってのイケメンといわれる瀧川鯉斗さん。
令和初の真打昇進を果たした実力派ですが、暴走族の総長だったという異色の経歴をもっています。
今回は、瀧川鯉斗さんの生い立ちや経歴、暴走族時代の画像も紹介したいと思います。
瀧川鯉斗って何者?
モデルのような顔立ちで、落語だけでなくTiffany&CoのウェブCMやテレビドラマにも出演しているイケメン落語家、瀧川鯉斗さんのプロフィールを紹介します。
- 名前:瀧川鯉斗(たきがわ・こいと)
- 本名:小口直也(おぐち・なおや)
- 生年月日:1984年1月25日
- 年齢:36歳(2020年現在)
- 出身:愛知県名古屋市(東京生まれ)
- 身長:182cm
- 趣味:バイク、サーフィン
趣味のサーフィンは冬は月1、夏は毎日行きたい!と話されています。
落語の前に海に行くこともあるほど好きみたいです。
出身地は名古屋としていますが、生まれは東京都で3歳の時に北海道へ、その後小学3年生で名古屋に引っ越していたそう。
説明が長くなるので、一番長く過ごした思い出の地である名古屋を出身地としているようです。
瀧川鯉斗の生い立ち
小学校〜中学校時代はサッカー少年
小学3年生のときに父親転勤で愛知県名古屋市に引っ越し、サッカーチームに入部した瀧川鯉斗さん。
小さい頃からスポーツ万能で、サッカーだけでなく野球のクラブチームにも入部するほどでした。
中学生の頃はサッカーで愛知県代表に選ばれ、名古屋グランパス・ユースチームでゴールキーパーとして試合に出るほどの実力に。
出身中学では唯一の県代表メンバーで、さらにスターティングメンバーで活躍するなど、将来有望なサッカー少年でした。
中学のときは目立つタイプのグループにいながらみんなと仲が良いタイプだったそう。
生徒会長とも友達で、瀧川さんがやんちゃをすると生徒会長が「やめろよ」と言ってくれるような、いいコミュニケーションを取れるポジションの生徒だったと語っています。
中学・高校は暴走族に
サッカーで愛知県代表に選ばれ、スターティングメンバーとして活躍していた瀧川鯉斗さん。
高校も当然サッカー推薦をもらえると思っていましたが…素行の悪さが原因で推薦はもらえませんでした。
実はサッカー以外に、オートバイに憧れて熱中してしまったのです。
暴走族の先輩達と付き合うようになり、授業態度も悪くなっていき、大好きなサッカー推薦は受けられなくなってしまいました。
高校は地元の悪い人たちが集まる学校に入りましたが…わずか一日で退学しています。
入学式で十数人の先輩達に囲まれてケンカに…と、暴走族らしいというかリアル・クローズZEROですね。
50人相手にボコボコにされ、ケンカが終わったところでタバコを吸っているところを見つかり、その日のうちに退学になったそうです。
退学後は工場と建設工場、サーフボードの修理などで働きながらバイクに没頭し、毎晩のように市内で暴走を続けて暴走族『天白スペクター』の伝説の総長に上り詰めました。
暴走族時代のエピソード&画像
13歳の頃から暴走族に入っていた瀧川鯉斗さん。
所属していたのは、名古屋の天白スペクターというチームでした。
天白スペクターは名古屋では有名なチームで、名古屋の尾頭橋周辺で集会をして、グルグルバイクを乗り回していたんだとか。
その後、瀧川さんは12代目総長に選ばれました。
総長に選ばれた理由についてはこう語っています。
そうですね、運転テクニックと集会への参加頻度、気合い、フカシ方が上手い……といったところでしょうか。
ケンカは自分から吹っかけるようなタイプではありませんでした。
名古屋市内のチームは、結構、仲がいいんですよ。
三河のチームとは揉めることもありましたが……。
(引用:デイリー新潮)
当時、天白スペクターは名古屋から反対側の『三河』という暴走族と対立していました。
ある日、平和公園にて総勢200人が集まり決着をつけることとなり、瀧川さんはOBからタイマンを命じられて見事勝利したこともあったそう。
総長時代の画像はこちらです。
特攻服には、
売られた喧嘩は買う度胸 売った喧嘩は勝つ根性
と書いてあり、この言葉がモットーだったと語っています。
夜な夜なバイクで街へ繰り出し、仲間と盛り上がる、そんな生活を2年間続けていたそうです。
瀧川鯉斗の経歴
伝説の総長にまで上り詰めた瀧川鯉斗さんですが、あるとき暴走族の仲間を客観的に見て「こいつら、悪いな」と考えるようになりました。
このままじゃダメだ!と思い立ち2002年に役者を目指して上京し、レストランのアルバイトで生計を立てていました。
ある日、アルバイト先のレストランで落語独演会が開催され、そこで現在の師匠である瀧川鯉昇さんの落語を初めて目にしました。
のちの師匠となる瀧川鯉昇さんの落語に魅了された瀧川鯉斗さんは、すぐに弟子入りを志願し、半年後に入門を認められました。
落語家として活動を開始してからの経歴は以下の通りです。
- 2005年3月:瀧川鯉斗として活動を開始、初前座を務める
- 2009年4月:二つ目に昇進
- 2019年5月:令和初の真打昇進を果たす
知識ゼロで落語の世界に足を踏み入れ、初めは言葉を覚えるのにも相当苦労したそう。
最初は元暴走族のクセも抜けないところもありましたが、師匠からの教えである「盗みと暴力は一発波紋」を守り続けて今のステージまで上り詰めました。
暴走族の総長から落語の真打に上り詰めたという異色の経歴から、
- 2005年ドラマ『タイガー&ドラゴン』の小虎(長瀬智也)
- 昭和元禄落語心中の助六
のようだと言われています。
瀧川鯉斗に前科はある?少年Aとは
元暴走族総長という異色の経歴をもつ瀧川鯉斗さんですが、最近では朝のワイドショーに出演するなど活動の幅を広げています。
2020年6月28日放送の『ワイドナショー』に出演された際には、ネットがざわつくやり取りもありました。
中居正広:前科はあるんですか?
瀧川鯉斗:…ノーコメントで。
松本人志:言っといたほうがいいですよ。
瀧川鯉斗:でもぼく、少年Aで終わってますからね。
この“少年A発言”はネットをざわつかせ、「何をしたんだ」と話題になっていました。
過去のインタビューを遡ると、
「総長は一回捕まったら少年院行きなんです、それは嫌なんでとりあえず逃げたんです。」
と、暴走族時代に覆面パトカーから逃げ切った話をしていました。
暴走族の総長として警察に追われるのも常連で、名前も知られていた瀧川さんは「少年A」として追われながらも、一度も捕まることなく逃げ切ったそうです。
瀧川鯉斗さんは他のインタビューでも「少年A」という表現を何度か使われています。
未成年は逮捕されても実名が報道されないことから「少年A」と表現されることがあるため、未成年で悪いことをしていたことを分かりやすく表現しているのでしょう。