芸能界屈指のオシドリ夫婦の篠原涼子さんと市村正親さん。
市村正親さんはもともと結婚していたことから、篠原涼子さんの「略奪婚」と表現されることがあります。
そこで今回は、お二人の出会いや結婚までの馴れ初めや略奪婚の真相を紹介させていただきます!
篠原涼子の簡単プロフィール
- 本名:市村涼子(旧姓:篠原)
- 生年月日:1973年8月13日
- 出身地:群馬県桐生市
- 身長・体重:162cm/45kg
- 血液型:B型
- 事務所:ジャパン・ミュージックエンターテインメント
市村正親の簡単プロフィール
- 芸名:市村正親(いちむら・まさちか)
- 生年月日: 1949年1月28日
- 出身地:埼玉県川越市
- 身長:170cm
- 血液型:A型
- 事務所:ホリプロ
篠原涼子と市村正親の年齢差は?
篠原涼子さんと市村正親さんの年齢差は25歳です。
2019年時点でのお二人の年齢(数え年)はこちら。
- 篠原涼子:46歳
- 市村正親:71歳
親子ぐらいの年の差です。
男性が年下の女性を好きになるのはよくあることですが、親子ほど年の離れた男性を選んだ篠原涼子さんのルーツはなんなのでしょうか?
調べてみると、篠原涼子さんは2歳の頃に母親を亡くしていて、父親の男手一つで兄と姉とともに育てられていたことが分かりました。
特技の料理も父親から伝授されたもので、篠原さんは父親のことを誰よりも尊敬しているそうです。
父親の愛情をたっぷりと受けて育った篠原涼子さんだからこそ、親子ほど年が離れて包容力のある市村正親さんに惹かれたのかもしれませんね。
篠原涼子と市村正親の馴れ初め
それでは、篠原涼子さんと市村正親さんの馴れ初めを見ていきましょう。
出会いから結婚までのお二人に迫ってみたいと思います!
出会いは共演の舞台
篠原涼子さんと市村正親さんの出会いは、2001年。
2001年9月14日から28日で上演された蜷川幸雄さんの舞台『ハムレット』で共演したことがお二人の出会いとなりました。
市村正親さんがハムレット役を、篠原涼子さんはハムレットの恋人のオフィーリア役を演じました。
実は、篠原涼子さんはこれが本格的な舞台への初挑戦でした。
当時の篠原涼子さんは女優として活動していたものの、主要な役どころを任されることはなく、ゲスト出演や準レギュラー的な役回りばかり。
この時、慣れない舞台で戸惑う篠原涼子さんを支えたのが、市村正親さんでした。
劇団四季の看板俳優だった市村さんが篠原さんをリードし、舞台を完成させたのです。
結果として篠原涼子さんはこの舞台が転機となり、ドラマで主演に起用されることも増えて女優として大きくステップアップをしていきました。
交際に発展
舞台での共演で出会った篠原涼子さんと市村正親さん。
共演から間も無くして、お二人は交際を始めたと言われています。
役者さんの仕事の中でも「舞台」はドラマや映画に比べて男女の仲が接近しやすいと言われてます。
堀北真希さんと山本耕史さん、安倍なつみさんと山崎育三郎さんなど、舞台共演がきっかけで交際、結婚に至ったカップルは数多くいらっしゃいます。
通常、演劇公演は1カ月半から2カ月の期間の中で、顔合わせ、本読み、立ち稽古、舞台稽古を経て本番を迎えます。
作品を作り上げるために厳しい稽古から本番までの時間を共有し、稽古中は食事を一緒にとったりする中で共演者同士の中は急速に深まっていくと言います。
篠原涼子さんは初めての本格舞台挑戦だったため、市村正親さんが頼れる存在として魅力的に映ったことでしょう。
市村正親が離婚へ
篠原涼子さんと市村正親さんが交際を始めたとき、市村正親さんには奥様がいらっしゃいました。
1984年に劇団四季の女優・八重沢真美さんと結婚されていた市村正親さん。
出会いは1984年に「アンデルセン物語」で共演されたことがきっかけでした。
ですが夫婦仲には徐々に亀裂が入っていたようです。
2002年10月に別居報道が出て、夫婦関係は破綻していると伝えられました。
このとき市村さんは「妻が十数年ぶりに劇団四季の舞台に復帰するために仕事を優先するため」としていましたが、それから程なくして二人は別れを迎えたのです…
2003年5月に離婚が成立したことを発表し、19年の夫婦生活にピリオドを打ちました。
離婚と同時期に八重沢真美さんは劇団四季に再入団しています。
市村正親の離婚理由は浮気性?
市村正親さんと前妻の八重沢真美さんの離婚理由はなんだったのでしょうか?
一部では、離婚の原因は市村正親さんの浮気性と伝えられています。
八重沢真美さんは1993年に劇団四季を退団し、家庭に入る形で市村さんをサポートしていました。
しかし、家庭生活は決して円満ではなく、八重沢真美さんは常に市村正親さんの女性問題に頭を悩ませていたんだそう。
お二人の間には子供がいなかったのですが、八重沢真美さんはそのことに関して
いつかはそうなると予感がしていて、子供も作らなかった。
と、語っていたと言います。
篠原涼子の父親は結婚に反対していた
2003年5月に離婚をした市村正親さんは、篠原涼子さんとの結婚に向けて動き出します。
しかし、篠原涼子さんの父親は市村さんとの結婚には反対をしていたそうです。
「自分と同世代の男と結婚するなんて…!」とふた回り以上離れた年の差婚に猛反対。
ですが、市村正親さんは篠原さんの父親の元に何度も足を運んで頭を下げ続けました。
結果的に、2つの条件を出した上で結婚は了承されました。
その条件は、
- 孫の顔を早く見せる
- 娘(篠原涼子)と生涯を共にする
というものでした。
篠原涼子さんの父親は、実はこの時点で病気を患い体調が悪くなっていたそう。
自分でも先が長く無いことを悟っていたのでしょう。
そのため「最後に孫の顔が見たい」という願いを抱き、それを条件に結婚を許したということですね。
結婚&長男出産へ
2005年12月8日、篠原涼子さんと市村正親さんはついに結婚に踏み切りました。
ただ、篠原涼子さんの父親は結婚後さらに体調が悪くなり、闘病生活を余儀なくされていたと言います。
そのため、お二人は結婚式や披露宴を行えずにいました。
そして結婚から約2年半後、2008年5月10日に長男が誕生しました。
篠原涼子さんの父親だけでなく市村正親さんの母親も孫が産まれることを願っていたことなので、お互いの親に大変喜ばれたそうです。
その後、篠原涼子さんと市村正親さんは2010年8月に篠原さんの故郷である群馬県内のチャペル付きの会場を貸し切って、双方の親族を招いて食事会を開きました。
この食事会は闘病中の篠原涼子さんの父親のためのものであり、愛娘のウエディングドレス姿を見せるために2人で企画したそうです。
篠原涼子さんの父親は娘の晴れ姿に涙を流し、この食事会の3日後に息を引き取りました。
篠原涼子と市村正親は略奪婚だったのか?
篠原涼子さんと市村正親さんの馴れ初めを追っていくと、行き着くのは「略奪だったのか?」という問題。
お二人の関係を時系列まとめてみるとこんな感じになります。
- 1984年?月?日:市村正親と八重沢真美が結婚
- 2001年夏頃:市村正親と篠原涼子が出会う
- 2002年10月頃:市村正親と八重沢真美に別居報道
- 2003年 5月?日:市村正親と八重沢真美の離婚が成立
- 2005年12月8日:市村正親と篠原涼子が結婚
こうして見ると、篠原涼子さんが略奪をしたように見えますね。
市村正親さんと八重沢真美さんの夫婦関係が破綻していたとはいえ、19年間婚姻関係が続いていたのは事実。
それが離婚まで至ったのは、少なからず篠原涼子さんの存在があったからだと考えられます。
市村さんが離婚してから1年も経たずに篠原さんと結婚されているあたりを見ると、切り替えの早さも感じます。
それだけ当時の篠原涼子さんが魅力的だったということなのでしょう^^;
篠原涼子と市村正親の子供について
ここでは、篠原涼子さんと市村正親さんの子供に関する情報を掘り下げていこうと思います。
子供は何人いるの?
篠原涼子さんと市村正親さんの子供は2人です。
- 2008年5月10日:第一子誕生(長男)
- 2012年2月22日:第二子誕生(次男)
2019年時点の年齢は、長男が11歳で次男が7歳(数え年で8歳)です。
ちなみに、市村正親さんの母親は次男が誕生した翌日に87歳で亡くなっています。
子供の学校は青学に進学
篠原涼子さんと市村正親さんの子供は、2019年時点で二人とも小学生です。
通っている学校は、名門の青山学院初等部です。
青学は幼稚舎から大学までエスカレーター式で進学することができる、芸能人御用達の学校でとして有名です。
長男については、幼稚園で青山学院幼稚舎を受験しましたが残念ながら落ちてしまい、お受験で青山学院初等部へ合格しました。
次男は青山学院幼稚園に合格しているので、幼稚園→小学校とそのまま青学初等部へ入学しています。
長男の受験の時は次男を妊娠中だったため、十分なお受験対策が練れなかったのかもしれませんね。
次男については二度目の受験ということもあり、万全な体制で挑むことができたのでしょう。
子供の運動会はペアルックで参加!
篠原涼子さんと市村正親さんの息子は二人とも青山学院初等部に通っています。
週刊誌では、2018年9月下旬にお二人が息子たちの運動会にペアルックで参加する様子がキャッチされていました。
市村ご夫妻は、Tシャツにデニム、スニーカー、ベースボールキャップというペアルックで登場。
さすが、シンプルな格好でも芸能人のオーラがにじみ出ていますね!
篠原涼子と市村正親の現在
略奪婚から好感度の高いおしどり夫婦となった篠原涼子さんと市村正親さん。
しかし、一部では離婚危機が報じられたこともありましたが、実際の関係はどうなのでしょうか?
篠原涼子の不倫報道
2016年4月28日、篠原涼子さんが俳優の江口洋介さんと焼肉店→隠れ家レストランの個室で深夜2時まで2人きりで楽しむ様子が報じられたのです。
(ドラマで共演していた二人)
これがきっかけで市村正親さんとの関係も危ういのではないかと臆測を呼んだのです。
しかしながら、篠原涼子さんの所属事務所は「夫婦仲は良く、一部で報じられている離婚調停といった事実は一切ありません」と完全否定。
市村正親さんも映画イベントで不仲説を否定し「でもいいの。注目されてるってことですから」などとコメントしていました。
あくまでも役者仲間との楽しい時間だったようです。
深い絆で結ばれたおしどり夫婦
篠原涼子さんと市村正親さんは2つの壁を乗り越えて夫婦の絆を深めてきました。
ひとつ目は、子供です。
アラ還にして初めて父親となった市村正親さん。
孫ほど年が離れた息子ということで市村さんにとっては試練となりましたが、そのイクメンぶりは業界でも有名です。
長男の産後3か月は「育児休暇」をとったり、積極的に母親学級に参加したり、子供の幼稚園の送り迎えなど日々子育てに奮闘していた市村さん。
子育てを通じて家族、そして夫婦の絆が深まったことは言うまでもありません。
ふたつ目は、病気です。
2014年7月、市村正親さんは65歳で胃がんを宣告されました。
2014年6月下旬に体調不良により病院で診察を受けたところ急性胃炎と診断されましたが、入院後の精密検査により早期の胃がんと診断されたそうです。
舞台を降板し入院。胃の半分を切除し、転移も確認されずに手術は無事に成功し、仕事復帰を果たしました。
この闘病の間は、ちょうど長男の小学校受験の直前という忙しい時期でした。
篠原涼子さんは仕事をカットして病院で献身的な介護、長男の幼稚園や塾への送り迎え、次男の世話にと奔走しました。
この闘病生活を乗り越えたことにより、夫婦の仲はより一層深まったと言えます。
現在の篠原涼子さんと市村正親さんは、週刊誌の不倫報道ぐらいでは揺るがない、固い絆で結ばれていました。
篠原涼子と市村正親の馴れ初めや現在まとめ
篠原涼子さんと市村正親さんの出会いから結婚までの馴れ初めを紹介させていただきました。
結婚までを時系列で見てみると、略奪と言われてもしょうがないように見えました。
ただ、子育てや病気という壁を乗り越えて、深い絆で結ばれたお二人。
経緯は心から祝福できるものではありませんが、お互い親孝行を果たしているエピソードなどはとても素晴らしいと感じました。
二人の息子さんはご両親同様役者の道に進むのでしょうか?
お子さんの将来にも注目したいと思います!