モデルでタレントのラブリさんが映像作家の米倉強太さんと結婚されたことを発表されました。
お相手は元モデルの米倉強太さんとのことですが、あまり知名度は高くない方ですね。
今回は、ラブリさんの結婚相手・米倉強太さんのプロフィールや学歴、経歴から元カノに関する情報をお届けしていきたいと思います!
ラブリの結婚相手・米倉強太のプロフィール
- 名前:米倉強太(よねくら・ごうた)
- 生年月日:1994年4月27日
- 年齢:25歳(2019年11月現在)
- 出身地:栃木県那須塩原市
- 居住地:東京都渋谷区
- 身長:184cm
- 職業:実業家、映像作家、mooddict代表
元モデルで、現在は映像作家として活動されています。
mooddictはアパレルやファッション系のイメージやムービーなどの製作会社が中心で、
- グッチ(GUCCI)
- ユリウス(JULIUS)
- サイラス(SILAS)
- ユニクロ(UNIQLO)
などといった幅広いブランドの広告映像をディレクションしています。
2018年には、ニューヨークが拠点のブランド「エイジレス アインツェルガー(AGELESS EINZELGANGER)」のシーズンムービーも手がけています。
ラブリの結婚相手・米倉強太の学歴&経歴
ここでは、米倉強太さんの出身校やこれまでの活動についてご紹介させていただきます。
ラブリの結婚相手・米倉強太の学歴
米倉強太さんの出身校は以下の通りです。
出身小学校:不明
出身中学校:不明
出身高校:宇都宮短期大学附属高校(偏差値43〜69)
出身大学:多摩美術大学(偏差値43〜53)映像学科
大学についてはオフィシャルな情報があり、高校については読者の方から情報提供をいただきました。
小学校と中学校は分かっていません。
多摩美術大学は美術大学の名門校ですね。
演劇学科と映像学科を見て「映像学科は映像系の演劇をやる学科」だと思い込んで進学したという米倉さん。
入学してから映像を作る学科だと気が付いたそうです(笑)
大学では、16mmフィルムで映画を撮るなど伝統的な映像の撮影法を学んだんだとか。
その中で「もっと現代的な映像を作りたい」という思いがあったそうで、その経験が今の仕事に繋がっているということがよく分かりますね。
ラブリの結婚相手・米倉強太の経歴
米倉強太さんの簡単な経歴は以下の通りです。
- 2012年:メンズノンノ専属モデルに
- 2015年1月1日:映像製作会社『mooddict』設立
- 2015年12月:メンズノンノ卒業
米倉強太さんがファッション雑誌「メンズノンノ」のモデルになったのは高校3年生の時。
きっかけは大好きなバイクで、どうしてもバイクが買いたかったため賞金20万円につられてオーディションに応募したそう(笑)
当時最年少で、同じ時代の専属モデルには坂口健太郎さんや柳俊太郎さんなどがいらっしゃいました。
仲が良いのは同期の兒玉太智さんだそうです。
その後、モデルとして活動しながら多摩美術大学に現役合格。
高校時代は仕事のたびに地元から東京へ通っていましたが、大学進学を機に上京しました。
メンズノンノでも時々映像を作らせてもらい、20歳になった時から本格的に映像の仕事をするようになりました。
2015年、20歳の時にユリウス(JULIUS)の人から「パリコレの様子を少し映像で撮ってみないか」と呼ばれ、展示会撮影や映像作品を手がけました。
この頃からモデル業よりも映像制作の方に興味が移っていったそう。
その後モデルを卒業し、映像制作を本業にすることにしました。
今でもモデル時代の経験は大事にしており、
プロの映像製作者“米倉強太”としてメンズノンノに関わることが、恩返しであり、将来の目標です。
撮影現場であこがれていた人たちに、自分も絶対になってみせます!
と語っています。
ラブリの結婚相手・米倉強太の元カノは二階堂ふみ!
ラブリさんの結婚相手・米倉強太さんの交際歴を調べてみると、元カノが二階堂ふみさんと判明しました。
お二人の交際がスクープされたのは、2017年3月。
『FRIDAY』にて、二階堂ふみさんが米倉強太さんの自宅マンションから仕事へ出かけたり、二人で犬の散歩をしたりする様子が報じられました。
米倉さんのマンションに二階堂ふみさんの事務所の車が送迎に来るなど、事務所公認の交際だったと伝えられました。
二階堂さんの事務所も公認の半同棲状態だったお二人。
その後続報は出ていませんでしたが、この度米倉さんの結婚報道が出たことから破局していたことが分かりました。
ラブリの結婚相手・米倉強太の祖父や母親はすごい人?
ラブリさんの結婚相手・米倉強太さんは母親や祖父など家族がすごい人揃いだと言われています。
ラブリの結婚相手・米倉強太の母親は米倉万美
米倉強太さんの母親は、イラストレーターの米倉万美さんです。
- 名前:米倉万美(よねくら・まみ)
- 生年月日:1961年
- 出身校:玉川大学文学部
大学卒業後「アンパンマン」の作家、やなせたかしさんの助手を経験。
数年後に独立し、地元の那須に戻って活動を始めました。
主な作品や活動内容は以下の通りです。
- 2003年:雑誌「Fooga」挿絵制作
- 2003年:米倉万美 絵ハガキ集(ドリーム舎)「軽トラとポチ」シリーズ制作
- 2003年:「山医者の毒にもクスリにもならない話」(ドリーム舎)挿絵制作
- 2003年:ニューヨーク sushidenギャラリーにて個展開催
- 2003年:ニューヨーク J.Marunouchiギャラリーにて個展開催
- 2005年:「小さなマーヤの哀しい踊り」藤原万耶著(フーガブックス)挿絵制作
- 2013・2016 年:Gallery HANNA 個展
父親との共書も数冊あります。
ラブリの結婚相手・米倉強太の母親は見川鯛山
米倉強太さんの母方の祖父は、医師で作家の見川鯛山さんです。
- 名前:見川鯛山(みかわ・たいざん)
- 別名:那須の赤ひげ先生
- 生年月日:1916年11月22日
- 死亡:2005年8月5日
- 出身地:栃木県安蘇郡植野村(現・佐野市)
- 出身校:昭和医学専門学校
専門学校卒業後、栃木県那須郡那須村(現・那須町)に見川医院を開設。x
60年以上にわたって地域医療に従事する傍らで、那須の風土に根ざした短編小説や随筆を14冊執筆されました。
製薬会社のPR誌に連載した作品などをまとめた「山医者シリーズ」が有名です。
獅子文六に師事されていました。
『田舎医者』は1965年が伊藤雄之助が演じ、『天山先生本日も多忙』は1979年に森繁久彌さんが演じそれぞれドラマ化しています。