ベテラン俳優の佐藤浩市さんの激ヤセが話題になっています。
俳優さんは役作りで体型変化されることは珍しくありませんが、佐藤浩市さんの場合は「痩せ方が病的」「一気に老けた」「顔が変わった」と心配する声が多くあがっています。
そこで今回は、佐藤浩市さんの激ヤセについて、その原因や若い頃からの変化といった情報をお届けしていきたいと思います。
佐藤浩市が痩せすぎと話題に
まずは、佐藤浩市さんの現在の姿とネットの反応を見てみましょう。
佐藤浩市の現在の姿がこちら
佐藤浩市さんの2020年3月現在の姿はこちらです。

こちらは、2020年3月8日にLiLiCoさんのブログに投稿された画像で、2020年3月6日より公開された映画『Fukushima 50』のパネルを背にした2ショットです。
佐藤浩市さんはかなりお痩せになっており、後ろのパネルとも別人のようです。
顔だけでなく、体も小さくなったように見えます。
※なぜかこちらの記事は2020年3月9日に削除されています。
続いては、2020年3月4日。

東京都千代田区の日本外国特派員協会にて『Fukushima50』の会見を行った際の姿です。
痩せたのもありますが、肌のハリやシワなどからグッと老けた(やつれた?)印象があります。
佐藤浩市の現在にネットの反応は
佐藤浩市さんの現在の姿に対してのネットの反応は以下の通りです。
録画してた王様のブランチを観ていたら、佐藤浩市さんの病的に痩せた姿に息が止まる。ネットでも話題になっていた。好きな俳優さんだから、病気では無い事を切に願う。
— 本マ (@zacoutoufu) March 8, 2020
佐藤浩市さん
ちょっと言いたくないけど
あの痩せ方は癌・・・・・— げきてつ^w^ (@Gekitetu2828) March 9, 2020
佐藤浩市
老けたというか、身体が細く見えるしやつれてるように見えるんだけど?#王様のブランチ— メモ (@memogoto) March 7, 2020
病的な痩せ方に、癌など深刻な病気心配の声が上がっています。
確かに、これまでにない痩せ方ですよね…
佐藤浩市の激ヤセ原因は?
佐藤浩市さんの激ヤセの原因には、
- 役作り
- 介護疲れ
- 病気
この3つの説が浮上しているようです。
佐藤浩市の激ヤセ原因:役作り説
一番多く上がっていたのが「役作り」という説です。
役者の世界では、自分が演じるキャラクターに合わせて体型やビジュアルを変化させることは珍しくありません。
佐藤浩市さんの父親・三國連太郎さんはその筆頭とも呼べる人物で知られています。

1957年公開の映画『異母兄弟』では役作りのために上の歯を全て抜くという驚きの行動を見せ、もはや伝説とも言われています。
そんな父親を持つ佐藤浩市さんも、過去には徹底した役作りで話題になったことがありました。

2019年2月1日公開の映画『赤い雪 Red Snow』では、公開記念舞台挨拶で役作りについての工夫を明かしていました。
(役柄的に)薄汚い方がいいと思って、
1980年に俳優デビューしてから演技力の高さが評価され続けてきた佐藤浩市さんですから、役のために体重を落としたという可能性はありそうですね。
佐藤浩市の激ヤセ原因:介護疲れ説
激ヤセ原因について、多くのメディアでは「介護疲れ」にも触れられています。
佐藤浩市さんは、2012年に認知症の母親(当時89歳)を介護していることを報じられています。
父親の三國連太郎さんは4度結婚しており、佐藤浩市さんの実母は3番目の妻に当たります。
しかし、小学6年生の頃に両親が離婚。
その後母子2人で暮らしていましたが、佐藤浩市さんが中学生の頃に内縁の夫が自宅で暮らすようになりました。
思春期だった佐藤浩市さんはこの状況に耐えられず、高校2年生のときに家を飛び出し以後30年にわたって、母子関係は断絶状態となっていました。

しかし、2008年7月に母親が脳梗塞で倒れ、都内の病院に入院。
命こそ無事だったものの認知症を患い(脳梗塞の影響なのか)、症状は急速に進んで行きました。
2008年12月には内縁の夫も他界して完全な独り身になった母親を、佐藤浩市さんは自宅に引き取りました。
当時自宅マンションには充分な広さがなかったため、2011年5月に都内に地下1階、地上3階建ての豪邸を建築。
エレベーターやスロープを完備するなどバリアフリーな設計で、母親のために建てたような家でした。
そんな母親も2020年で97歳になります。
現在は妻の広田亜矢子さんが面倒を見ていると見られていますが、佐藤浩市さん本人も実の母親ということでお世話をしている可能性は高いです。
介護疲れでやつれてしまったということも考えられますね。
佐藤浩市の激ヤセ原因:病気説
ネットで最も心配されていたのは、病気説です。
異様な痩せ方に「癌の痩せ方に近い」など病名を口にする方も出てきています。

頬もこけて目も窪んでおり、顔色も悪いビジュアルに今井雅之さんや川島なお美さんの痩せ方を思い出してしまう方も多いようです。
しかし、ご本人や事務所からコメントが出ていないことや、今も仕事をされていることを考えると病気の可能性は低いのではないか言えます。
病気ではないことを信じたいですね。
佐藤浩市はいつから痩せた?若い頃から現在までの変化
佐藤浩市さんは一体いつ頃から痩せてしまっていたのでしょうか?
ここでは、佐藤浩市さんの若い頃から現在までのビジュアルの変化を画像で紹介させていただきます。
佐藤浩市の変化①:20代
まずは、20代の頃の画像です。
(1980年NHKドラマ『続・続事件』出演時)
(1981年映画『青春の門』インタビュー)
この映画でブルーリボン賞を受賞されました。
(1981〜1982年日テレドラマ『俺はご先祖さま』)
毛量が多いのは昔から変わらないですね。
佐藤浩市の変化②:30代
続いては30代の頃の画像です。
(1996年映画『美味しんぼ』)
この映画にて、確執のある父親・三國連太郎さんと共演されました。
(1998年映画『らせん』)
(1998年映画『あ、春』インタビュー)
30代からすでに貫禄がありますね。
お顔は今と比べてふっくらとしています。
佐藤浩市の変化③:40代
続いては40代の頃の画像です。
(2006年映画『THE 有頂天ホテル』インタビュー)
(2008年映画『THE 有頂天ホテル』)
(2009年映画『誰も守ってくれない』)
40代は髪も茶髪で、チョイ悪オヤジなテイストが入っている気がします。
この時はまだ老けた感じは全くありませんね。
佐藤浩市の変化④:50代
続いては50代です。
ここからは小刻みで見ていきましょう。
(2010年12月『最後の忠臣蔵』インタビュー)
(2013年2月『草原の椅子』インタビュー)
(2015年映画『HERO』インタビュー)
(2016年4月インタビュー)
(2018年キヤノンマーケティングジャパングループCM)
(2019年10月インタビュー)
(2020年3月『誰も撃ってません』完成報告会)
(2020年3月『Fukushima50』会見)
こうして見ると、2016年(56歳)あたりから徐々に老けていった感じがしますね。
同じ時期でも光の当たり具合などのコンディションがあるのかもしれませんが、3月で急激に痩せた感じがしますね。
病気ではないことを祈りながら、今後の活動を応援したいと思います。